福井県から出た天皇陛下がいます。

 

その名は継体天皇。

古墳時代に製鉄が盛んだった近江に生まれ、開運で出雲とつながり製鉄が盛んだった高志の国を治めていました。

彼が天皇になれた理由は、古墳時代の戦略物資だった鉄を作る地域を支配していたからだと言われています。

特に、あわらから三国に至る地域では、古代人が製鉄を行った炉の跡が多く発掘されています。

※たたら房では、あわらの地で古代人が製鉄に用いた赤土を使用


現在も福井県では、地図に示した3地域でたたら製鉄を行っています。

・あわら地区 → 細呂木たたら製鉄保存会

 

・越前地区  → 武生ナイフビレッジ(鍛人)

 

・池田地区  → たたら房

ここでは「たたら房」がある、池田町の製鉄についてご案内します。


【池田町の古代製鉄】

池田町には、欽明天皇の第三王子「アトリ王子」が3人の供をつれてきていたという伝説があります。

3人の供は和田・恩智・佐飛という姓と伝わっています。

この中の、佐飛(錆)は鍛冶屋の屋号と言われております。

古墳時代の王族が抑えた地には、必ず重要な戦略物資がありました。

 鍛冶屋を伴っていたことからも、それが鉄であったことは想像がつきます。


 残念ながら、池田町では発掘調査が行われておらず、遺構の発見はできていませんが、道路造成時に発見された日本で2枚しか見つかっていない銅鏡が、高貴な人が来ていた証として伝えられています。

公の機関での発掘調査が行われないため、たたら房では検証考古学を行ってまいりました。

製鉄を行うには、燃料(木炭)・鉱石(砂鉄・鉄鉱石・水酸化鉄)が必要です。

これらの材料を池田町で現在でも発見できれば、製鉄の可能性が出て参ります。

池田町は河川の最上流部の山中にあるため、木炭を作る材料には事欠きません。

あとは鉱石がみつかれば製鉄が可能になります。

 

 

 これまでの調査で、鉱石となりうるものを3つ発見しています。

 

(1)餅鉄

池田町の名産は赤石です。

赤石は池田町を流れる足羽川に多くみられ、主成分は鉄分を含む二酸化珪素です。

足羽川には甌穴が多くできています。

甌穴は水の流れで重い石がドリルの様に川底を削り、穴をうがったものです。

この甌穴付近で餅鉄を発見しました。

 

 

 

 (2)鉄分の多い岩石

足羽川の上流には、鉄分の多い岩石でできた山(冠山)があり、その隣には金草山という山があります。

この山は、ヒッタイトの製鉄遺跡によく似た斜面を風が駆け上る場所があり、強風が吹き続けるため自然送風でも製鉄ができるのではないかと思える山です。

もしかすると、金草山は金糞山だったのではないでしょうか?

金糞とは、製鉄を行った際に排出される不純物の塊の事です。

製鉄を行う場所では金糞が山積みになるため、金糞山と名付けられたのではないでしょうか?

 

 

 (3)生物由来の水酸化鉄

足羽川支流を歩くと、赤い泥が溜まっている場所が多くみられます。

ここには鉄分解バクテリアや酸性土壌によって水酸化鉄が蓄積されています。

葦の根の周りに蓄積された水酸化鉄の塊をいくつか発見しています。

水酸化鉄はリン酸を含んでいるため、鉄の融点が低くなります。

そのため、焚火程度の火力でも鉄の塊を作ることができました。

この材料なら、古墳時代の道具でも鉄を作ることができます。

 

 

 

 

 しかし、このやり方では鉄の炭素量が少ないため、焼入れができる鋼にはなりませんでした。

無論、たたら製鉄の材料として利用すれば、鋼を作ることも可能です。

 

これらの材料の発見により、古代人でも鉄を得ることができたと確信する事ができました。

今後は水酸化鉄での製鉄について、もう少し研究してみたいと考えております。

 

歴史書に書かれていないド田舎の池田町が、古墳時代には重宝される鉄の産地だったと思うと、ワクワクがとまりません。